善かれと思って
心に響いた一節を紹介します。
善かれと思って、はからったことが、善かれと思ったようにはならなくて、思いもかけぬ反対の結果を生みだすことが、しばしばある。思いが足りないのか、はからいが足りないのか、それにはいろいろ原因があるのだろうが、よくよく考えてみれば、やっぱりそこには、何らかの策を弄したという跡が目にうつるのである。
善意の策も悪意の策も、策には所詮策にすぎない。悪意の策は、もちろんいけないけれども、(中略)つまり、何ごとにおいても策なしというのがいちばんいいのである。
無策の策といってしまえば平凡だけれども、策なしということの真意を正しく体得して、はからいを越え、思いを越えて、それを自然の姿でふるまいに表すには、それだけのいわば悟りと修練がいるのではなかろうか。
おたがいに事多き日々、思いをかけぬ悩みを悩む前に、時にはこの策なしの境地というものに思いをめぐらせ、心静かに反省してみたいと思うのである。
「道をひらく」松下幸之助
策を弄しても、うまくいかない時はやって来る。むしろ、うまくいかない時の方が多いであろう。無策の策には、策がないようで、そこにははからいや、思い、ふるまいに至るまでの「策」が実はある。こうした目に見えない配慮が、成功のヒントであることを気づかせてもらった。