カンを働かす

心に響いた一節をご紹介します。
剣を持って相向かう。緊張した一瞬、白羽がキラめいて、打ちこむ、はねる、とびすさる。目にもとまらぬ早わざである。
そこには理屈はない。相手の刃が右手から来た、だからこれを右にはねかえそう、などと一つ一つ考えて打ちあげているのではない。(中略)
カンと言うと一般的にはなんとなく、非科学的であいまいなもののように思われるけれども、修練に修練を積み重ねたところから生まれるカンというものは科学でも及ばぬほどの正確性、適格性を持っているのである。そこに人間の修練の尊さがある。
ように言われる科学的な発明発見の多くのものは、科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて、その間を原理づけ、実用化するところから生み出されている。つまり科学とカンとは、本来決して相反しないものである。
要は修練である。練磨である。カンを働かすことを、もっと大事にして、さらに修練を積み重ねたい。
道をひらく 松下幸之助
カンはあてずっぽうではない。修練、鍛錬あってのカンなのだ。それによって、カンの精度は高まり、不確実をより確実なものとする。経験(修練・鍛錬)を積んで「研ぎ澄まされたカン」身につけたいものである。

この「言葉」から

前の記事

止めを刺す
この「言葉」から

次の記事

世の宝