自分の中にいる判事と陪審員
心に響いた一節を紹介します。
(略)人がある状況でどんな行動をとり、どんな反応をするか、つまり、どういう人間になるかは、その人の「価値観」にかかっている。
そして、それと同じように、人の感情や行動を決定するのは、その人の信条、つまり何を望ましいと感じ、何を有害だと思うか、自分は何をすべきか、すべきではないかという考え方である。こうした明確な基準・尺度が、私の考える「ルール」というものである。
「ルール」は、いつでも神経系に「苦痛」や「快感」をもたらす。それはちょうど脳の中で裁判が開かれているようなものだ。そして、自分の個人的なルールが究極の判事であり、陪審員になる。
たとえば、価値観が満たされているか、気分のよし悪し、快感と苦痛のどちらを感じるかを決めるのは、彼ら(ルール)だ。
もし「あなたの肉体は素晴らしいものか」と聞かれたら、自分の考える「素晴らしい肉体」という基準を自分自身がクリアしてるか否かで、答えは違ってくるだろう。
アンソニー・ロビンズの自分を磨く アンソニー・ロビンズ
裏を返せば、人の行動や反応はその人の価値観の現れ。人をじっくり観察すれば、その人の価値観がわかるのではないだろうか。また、価値観が満たされているかどうかは、ルールによるという。このルールは素晴らしい。なぜならこのルールはいつでも自分の好きな時に、好きなように変えることができるからだ。