なぜわたくしは「憂うつ」になったことがないのか

心に響いた一節を紹介します。
言葉は物事を自分自身のために再現する基本ツールであり、言葉がなくては、経験について考えることができない。
(中略)わたくしが今まで自分の気持ちを言い表すのに、一度も使ったことのない言葉は何か考えてみた。出てきた答えは「憂うつ」だった。私も人並みにイライラしたり、怒ったり、疑心暗鬼になったり、まいったなあと思ったりすることはあるが、憂うつになったことはない。
それは、生まれてから一度も憂うつになったことがないという意味ではない。八年ほど前には、いつも気が重い時期があった。憂うつになると人生を変えようという気力も萎え、問題にぶつかっても決して解決策は見つからないと感じるものだ。
ただ私の場合は、運よく、憂うつになるという苦痛を避けようとする強い衝動が働いたために救われた。
私の脳は、「憂うつ」から「死」という最大の苦痛を連想するようになっているため、意識しなくても自然と憂うつという言葉を排除してしまうので、憂うつな気分を再現することも感じることもなくなったのだ。
こうして私はやる気をなくさせる言葉を排除し、その結果、強い強い意思をもくじく憂うつを振り払うことができた。
自分の使ってる言い回しがやる気をなくさせるのなら、そのような言い回しを使うのをやめて、もっと元気の出る言い方をすることだ。
アンソニー・ロビンズの運命を動かす アンソニー・ロビンズ
そうそう、その通り!何気なく使っている言葉、ここに自身の行動の種があった。もしかして、不安を感じたり、なぜか意気消沈しているのであれば、まずはその発する言葉、触れる言葉をよい言葉にに置き換えてみよう。言葉の持つ魔力、「言霊」をじわりと感じられるはずだ。