心のピントをどこに合わせるか
心に響いた一節を紹介します。
世の中に「絶対的なこと」はほとんどなく、ものの感じ方や経験の持つ意味は「何に焦点を合わせるか」によって違ってくる。
この事をカメラにたとえて考えてみよう。カメラのレンズには、ある一つのアングルで、ピントを合わせた風景が映っているだけだ。そのため、写真は現実を歪めて写すこともできる。
たとえば、カメラを持ってパーティーに出かけたとしよう。あなたは隅にある椅子に腰を下ろし、数人の口論している人たちにピントを合わせた。すると、どうなるだろう。パーティーは不愉快で、居心地が悪く、みんな喧嘩腰で、全然楽しくなかったということになる。
もしも、同じパーティー会場で、ジョークを言い合い、 楽しそうにしている人たちにピントを合わせれば、みんなが和気藹藹と、楽しく過ごせたパーティーだったということになるのだ。(中略)
ある一つのアングルからしかその人を見られないことであり、クローズアップになれば、当然、被写体が実際よりも大きく見えることもある。
写し方次第で、カメラは重大な事実を矮小化したり、曖昧にしたりもできる。
ラルフ・ウォルド・エマーソンの言葉を借りるなら、「自分の心の中にあるものを他人の中に見出す」ことになるのだ。
アンソニー・ロビンズの自分を磨く アンソニー・ロビンズ
たしかに、確かに。である。物事をどのようなアングルでとらえるかによって、感じ方が全く異なる。楽しく感じ続けたいものだ。
しかし、なかなかそうならないときがあるのも事実。そのようなときは、「学びを得た」と考えるようにしている。
いやな経験もしていないといい経験の価値がわかない。いい経験を感じるために、いやな経験をして学んでいるのだと。
角度を変えて物事をみると、視野が広がるのがわかる。そんな気がする。