自分の非
心に響いた一節を紹介します。
人は神様では無いのだから、一点非のうちどころのない振舞など到底望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。それはそれでよいのだが、大切なことはいついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持っているということである。(中略)
むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、近頃の人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りないというのか、躾ができてないというのか、素直に自分の非を認めないいうどころか逆に何かと抗弁をしたがる。そして出処進退を誤り、身のおきどころを失う。とどのつまりが自暴自棄になって、自分も傷つき他人も傷つけることになる。これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。
自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる―この心がまえをつねひごろからおたがいに充分養っておきたいものである。
道をひらく 松下幸之助
過ち、失敗は誰でもする。先日このようなことがあった、ある会合に遅れてきた2人の者がいた。一人は遅れた理由をバスの遅延としその後の対応も目立ったことはない。一人は素直に寝坊して遅れたといい、反省と謝罪を全員に延べ、その後の対応は見違えるようなものであった。誰でも失敗はする。そこで迷惑をかけた人に素直に謝罪し、どうすれば失いかけた信用を取り戻すのか必死に考える。そのような考え、行動が人を一歩も二歩も成長させる。