恵まれている

心に響いた一節を紹介します。
(前文略)自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、きのつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平が出るし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない。そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしてしまいがちである。
恵みにたいして感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなにしあわせな暮らしができることか、思えば愚かなことである。
だが恵みを知ることは、そう容易ではない。(中略)頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。そこに人間の弱さがある。
おたがいに修業をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振舞に、今一度の反省を加えてみよう。
道をひらく 松下幸之助
やはりそうなのだ。身近にいつも自分のつらさを訴える、他人の芝生をうらやむ話ばかりをする人がいる。その人は自分の環境を壊しているのだ。どんな境遇であっても、「実は自分は恵まれている」のだ。コップに半分の水がある。「もう半分しかない」「まだ半分ある」考え方ひとつ。気持ちの持ち方ひとつ。
世界が激変する今日この頃、大変ではあるがこうした環境を経験できるのも「恵まれている」と考えよう。考えるのだ。そして恵みを知ろう、見つけよう。きっと明るい未来が開けるはずだ。

この「言葉」から

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