敵に教えられる

心に響いた一節を紹介します。
己が正しいと思いこめば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。
人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないかもしれないけれど、われわれは、わがさまたげとばかり思いこんでいるその相手からも、実はいろいろの益を得ているのである。
(中略)自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。敵に教えられるとでもいうのであろうか。
倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。
それが自然の理というものである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。
道をひらく 松下幸之助
松下翁の考えに激しく同意。敵とはなにか?敵がいるから、自身の今の考えに及んでいる。そうすると、敵がいなければ、自身の成長もあり得ない。そうなるとそれはそもそも敵なのか?敵などどこにもいないのではないか。
こんな考えが広まれば、世界の平和はたやすく手に入れられるのに。それできないのは、万物の霊長の限界か、はたまた神さまがそのようにお創りになったのか。

この「言葉」から

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